夢実現の方法(10)

<感謝と精進>

さて、夢実現の方法の最後の章になりましたが、ここで、最後の夢実現の方法の最終ポイントとなります。それは、感謝と精進です。何か、仏教的な香りのするものではありますが、信仰ということに強くかかわってきます。前節で、歴史的な偉人は、ほとんどの方々が信仰を持っていたと述べましたが、彼らの生き方は、信仰者そのものと言っても過言ではありません。信仰者というと、何か、教会で祈りをささげているような姿を思い浮かべますが、本来の信仰者とは、神の願いである、人類の幸福のために生涯を捧げるという方が、より近いものだと言えます。

人間が動物と一番違うところは、人間には夢がある、理想があるということです。そして、これは、人間が神に近い存在であるということの意味でもあるのです。夢を描く力は、神から与えられた大きな贈り物であります。また、神の属性である、創造力の一つの形でもあり、本来、私たちが神から分かれ出てきたものであることの証明でもあるのです。

キリスト教において、聖書の中でイエスはこのように述べています。「汝が心に願いたることはすでに受けたりと信ぜよ」と、夢実現の根源を伝えています。また、仏教においては、「仏を信じるときに、その法を行じるときに、数多くの偉大なる業績が出るであろう」とも言われております。

現代においては、夢実現、自己実現の方法は数多く提唱されていますが、その本質を述べたものは少ないと思います。自分の幸福、自分の利益のためだけの夢実現は、正しい夢実現の方法とは思えません。さらに、神仏の存在を抜きにして考える夢実現の方法も、本質に触れることはないでしょう。本来夢実現の方法は、神の理想実現の一つの表れであるということです。

この夢実現の方法の前提であり、結論である信仰というものをもとに、大切なことが、感謝と精進なのです。現に、小さな夢実現で終わってしまう人の傾向は、すぐに慢心してしまうということです。全てを、自分の力で実現させたと思う人は、どうしても簡単に出来上がってしまいます。見えない世界の助力を得ているという思いがないからです。過去の偉人たちはみな謙虚です。それは、常に大いなるものに助力を得ていると感じていたからです。彼らは、成功すればするほどに、夢実現すればするほどに、感謝の心が湧き上がってくるのです。成功しても、「これは、私がやったのだ。当然のことだ」と、他人や、神仏に感謝できないようであれば、やがてその成功も、繁栄も枯れていくものなのです。

信仰とは、神仏と一体となりたいと思う心です。神仏のようになりたいと思う向上心です。だからこそ、本来の夢実現の方法は、夢実現を通して、自らが神仏に近づくための方法なのです。それ故に、無限の努力精進を伴います。そして、一歩でも神仏に近づけた暁には、魂の喜びがそこにあるのです。だからこそ、自然と感謝の心がわいてくるのです。夢実現の方法に、感謝と精進があれば、それは、神仏に近づく向上の方法であり、信仰心そのものと言ってよいでしょう。夢実現を通して、信仰に出会っていただくことを心より願っております。

誰にも、信仰の本能があります。夢実現のなかに、自らの向上、他社の幸福を願う心を発見できたとしたら、それが、信仰の本能であり、私たちが神の子であることの何よりの証であるのです。

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